親というもの

  

  やっと少し歩けるようになった。
  太陽の光が浴びたくてニ、三か月泣きそうだった。


  このところ嫌な事件が立て続けに起き、自分も<親ということ>に
  ついて考えざるを得なかった。
  親になったら最後、自分を質に入れた、と思わざるを得ない。
  こんなに親がしんどいものだとは知らなかった。
    
      親になる易さ親たる難しさ     川柳
  
  自動車事故も多発している。
  昔こんな句を作った。


      霊柩車のように運転しなさいね   川柳


  寝ている間にこんな句をつくった。


      戦争の頃は無かった引きこもり   川柳



  防空壕がどこかで見つかった、という。
  ただ生きるために国民は必死だったのである。


  納豆などは葱や、漬物を刻んで混ぜ増量し、食べさせられた
  記憶がある。
  ただ現在、モノがあふれていることは事実、私などは戦後、従兄、
  従姉なども同居していたので早く食べないと食にありつけなかった。
  今でも早食いの癖は抜けない。叔母二人もいて全部で13人家族だった。



  元次官が子を殺したという。本当に悲しく切なくて泣いた。
  自分ならどうしよう、答えはまだ見つからない。

         春遠からじ

   

 *水仙を抱へて訪へば病室の
          あなたはすでに身罷りてをりぬ     短歌


 *道野辺に矜持を隠す野水仙               俳句


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    *平成の岸壁に立つ家族会                川柳  


  *平らかに成ると聞きしは空耳か             川柳                
  
残った拉致者を返してほしい。
安倍総理は今月ロシアに行くという。
ついにあの国には行かず、平成の幕が閉じられるのかと思うと
断腸の思いである。
言いたくはないが、氏は子を持たないので、親子の情を
知らないのではないか、と、いぶかしくさえ思ってしまう。
北の島よりも先ず人だろう。人への愛だろう。
拉致された人達が帰って来るまでは
平成が終わったとは思いたくない。
思えない。


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短歌は29歳で逝った末弟を詠んだ。
卓と幹という二人の子を遺した。(三才とゼロ歳だった。)


題名はシェリーの<西風に寄す>からつけた。
<北風に寄す>の積もりである。
<北風よ 思いあらば伝えてよ
 北に拉致された人々は今如何に、
 甥と姪は今如何に、・・・>
 弟は青森に婿に行った。
 ・・・冬来たりなば春遠からじ、となればいいけれど・・・
     (シェリー・・・・イギリスの19世紀の詩人、
   日本では"西風に寄す"と訳された詩で有名)

      皇室って

 
     皇室がかしましい。
     税金で養っているのだから、という声がかしましい。
     でも戦後、誰が最初に決めたのだろう。


     戦後長く生きてきた。
     でも法律で皇室をどうしようとか聞いたことがない。


     気が付いたら美智子氏が嫁ぎ、
     気が付いたら秋篠氏が皇嗣になっていた。
     悠仁クンが次の次の時代の天皇になるらしい。


     愛子さんではどうもだめらしい。
     女性天皇ではどうもだめらしい。


     女性は劣っているらしい。


     秋篠さんも呑気に暮らしたかったと思っているに
     ちがいない。
     居宅に三十億円もかけるなど考えてもいなかったに
     違いない。


     眞子さんも小室氏と結婚したいに違いない。
     国民は、うるさく税金などと持ち出さず
     お好きなようにさせたらいい。したらいい。


     たった一つ私が懸念することはお母さんが
     某宗教団体に入っていることである。


     眞子氏は一億円もの持参金など捨てて、スーパーのレジ係でも
     なんでもして家庭をささえたらどうだろう。


     皇室は国民のペットではないのだから。


     私は現皇太子の次の世まで生きてはいないので
     それが心配ではあるけれど
     もう皇室は無くなっているかもしれない。