母への詫び絵

       

        これは母が作った竹籠である。
        
        戦後(!)子供達を養うために作っては売り歩いた。
        子供を10人産んだ。その間、四人の子を失くした。


        籠を作って売り歩きながら、子らを育てながら・・・
        私は、二人子を持っただけでギブアップである。


        多分農家の夜なべ仕事にでも覚えたのだろう。
               「赤貧洗うが如し」の日々であった。
        「芸は身を助けるほどの不幸せ」であった。


        母は偉かったなぁ、と今になってしみじみ思う。
        昔の人は偉かったなぁ、と心から思う。


        母の好きだったグラジオラスを描いてみた。
        時々描く。色を違えながら、母を偲びながら。
        詫び状ならぬ、詫び絵である。


        

        簡単に書けて上手に書けなくて
             母という字とにらめっこする  短歌